毎日の通勤はあまり変わらない風景だった。変わったのは毎日道路に積み上げられるゴミの山だ。ゴミの収集車は機能していないのだ。
倒壊したビルはその姿をいつまでも見せたくないからか、重機で解体されていく。当初は重機のショベルがビルを解体する時に粉塵が舞い上がっていたのが、やがて放水しながら解体するようになっていく。ビル解体による粉塵から呼吸器を守るために防塵マスクを着用しての通勤姿になっていく。そして粉塵を飛散させないようにブルーやグレー色のシートで解体ビルは覆われるようになっていく。
JR西日本が鷹取駅に仮設プラットホームをつくり、JRに乗って三宮方面に行けるようになるまで、神戸市営地下鉄の板宿駅から三宮までの徒歩通勤は続いた。2月中旬頃までだったであろうか。
阪神・淡路大震災による道路の亀裂や段差、歩道だけでなく車道にまで倒壊した家屋の屋根や戸や窓ガラスなどの散乱、火事により焼け爛れ垂れ下がる電線などを避けながらの徒歩通勤だった。
火事で文字通り焦土と化した御船通や大道通を帰る時はあたり一面光は全くなく漆黒の暗闇が続いた。懐中電灯を手に危険だと思われる箇所は覚えているからその付近に近づくと用心しながら歩いた。前方にぼんやりとした明かりがあるのは前を歩いている人の懐中電灯の明かりだ。随分と長い距離に感じた。
通勤時には足元が危険であるので、トレッキングシューズをはいて仕事用の靴と服はリュックの中に入れて歩いた。何日かたつと、通勤者向けの屋台が少したつようになった。水分を補給するためや軽くお腹に入れるための簡易なものだった。利用者はあまりいなかったが。
防災用の防塵マスクもあります。新型インフルエンザ対策用マスクだけではありません。

